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「象徴」について(続き)

【「波風立男氏の生活と意見」から続く】
ここでハタと思い出したのは、某国の首相。自分を「国の象徴」と勘違していなければとても出来ない言動の数々。話聞かない、嘘つく、恫喝する、揚げ足取る、すり替える…。「私がこの国の首相なんだから間違うことはありません」なんてことも言っていたな。トランプ氏は、品性も知性も「大丈夫かあ?」だとしても、まだ象徴の候補で何もしてはいないのが救い。それに比べ…

 憲法の「象徴」は、理屈では?人が人にこんな役割を与えちゃいけない。だが、時々の「お言葉」が心にしみる。「象徴」も使い方次第だな。戦後50年、「いくらなんでも悪さはここまで」と思う庶民には、悪い象徴とまともな象徴が、危うい立憲政治のもとで何とかバランスとっている図に映る。【おしまい】

 前回動画のバックに流れていたボサノバの名曲。カルロスロビンじゃなくセルディオメンデスで。こちらの方がショーアップされている。

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