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時間の味

ナポリタン  「好きなだけ掘って持っていって良いよ」と気前よく貰ったニンニクを3週間乾燥させてモッチモチになったのをオリーブオイルで炒める。フライパンの2/3で具材を丁寧に炒め、残り1/3でケチャップを炒め酸っぱさ飛ばしバター少々加えて風味づけ。同じ手法のオムライスも感動モノ。ピーマンとパセリは畑から。球根や苗を仕込み1年育てた物語を味わうパスタ。

 

ドアストッパー 市販のカエルストッパに刺激されて「ママヨストッパー」作り、暑かった夏に使い続けた。何だか愛嬌があって楽しい。絵や書も作って楽しいが、普段使いが面白く、何年か経ったらもっと味が出てきそう。

 

 

きのこうどん  熊を恐れず春は山菜、秋はキノコを持ってきてくれる人がいる。心配しつつ嬉しくてたまらない(笑)。画像でも質の良さがわかるね。クマザサを漕ぎ苦労して探し当てた美味をいただく。長葱とインゲン豆は畑から。好きなジャコ天が無いときは、ママヨ作の甘辛シミシミ油揚。ウドンは10年作り続けているが毎回難しさ痛感。

 

ウナギ散らし寿司 いただいたウナギの蒲焼きを、お客さんたちに食べて貰ったり次の日も食べられる工夫。冷凍ウナギをフワフワにする技を追求し、だいたいこのへんかなに到達(笑)。寿司飯に筍、椎茸、干瓢の甘辛煮を混ぜ込み、畑のサヤエンドウを散らす。山椒を鉢で育てているので小さな葉を飾るとご馳走感が高まる。


 

老いると、「どうやったら美味くなるように作れるだろう」と工夫するようになる。小さな畑の実りがそれを後押しし、成長の過程と新鮮さが市販品には無い美味さを保障してくれる。時間がかかっても好きな工作の時間として台所に立ち、美味しい食材をいただくときその方の心を思って包丁握る。身体も、舌も、本当に正直に反応する。

【74歳からの哲学⑮】「老い」という冒険【後編】

(9/27ブログ記事から続く)
カートにするか、リュックでいくかは、その時の気分で。5キロの米を自分の足で買って来るのが、進化形の波風ジイサン。遠くない免許返納時のイメージ。老いが進んでも自分で排便可なら万々歳。ピンコロリは宝くじ的な夢のまた夢。垂れ流しつつはい這いずり回るのも、優等生的にディサービスに通うのも、「えっもう」と突然逝くのも、いずれも運次第。この頃やっと定まった祈りが「ヒトハカナラズシヌ」だが、そのうち「ボケテシヌ」のトッピングもついて本人は何の悲しみも苦しみも感じないように逝ったりして。まあ、それも運のうち。
こんなことを書いていると、「歩道で見かける高齢者専用のカートを押す老人、両手とリュックで買い物荷物を運ぶコシの曲がった人」への敬意がますます強くなってくる。

 

「老いという冒険」は今のところこんなイメージ。
還暦後から始めて「ヒトが変わった」(ママヨ談)家事共同は、偉そうなことを言っても叱られない最低限の資格だから続けなくては。身体を動かし注意集中できる運動機会だし、暮らしの「へーっ、ほーっ」の発見こそ手軽で多種多様な冒険の筆頭。
今が人生で一番時間をとって本を読み、ヒトから話を聞き、「俺は何も知らない」を実感している。自分はどんな奴なのかを何の縛りも無く見つめられるコトは冒険の真髄。美味しいモノを食べ、行きたいところに行き、面白いと感じるモノを作り、欲望に逆らず、時々ごまかしたり嘘をついても老いのせいにして、「オレって面白いなあ」なんて自画自賛するのが波風的冒険スタイル。その発表機会がこのブログで、読者の方々も一緒に面白がってもらえたら励みになる。
自分の墓と葬式のイメージはだいたい固まってきたから冒険事項から除外し予定事項へ移行。
(「老いという冒険」は一応終了。書きたりないなあ。老人と性、老人と政治、老人と道徳・・・いつかまた)



読書交流会を5人参加で昨日。KAZUOくんのミラン・クンデラ著『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫)、書名だけ知っていたが哲学的内容に驚き。恩師の娘さんから送って貰った平松洋子著『忙しい日でおなかはす空く。』(文春文庫)、冒頭の切ったトマトに塩ふって10分待つだけみたいな「料理」レシピと言葉選択で、食エッセーの神髄を味わう■●▲裏ブログを『予告【映画ちいかわ 人魚島のひみつ】を見に行く』で更新しました。

【74歳からの哲学⑭】「老い」という冒険【中編】

(9/22ブログ記事から続く)

過去は記憶で未来は想像の世界。しかし、後期高齢者波風翁のイメージは浮かばない。50歳も、60歳も先のことは分かるはずは無かったが、75歳以後はもっと曖昧。記憶の方は脳が自動的に削除開始、身体も前より無理できず、少しづつ少しづつ老いていく。
昔から波風氏は、今が一番面白いはず、で生きてきた。今が「やりたいことをやっているはず」と思っていたから。それは今も同じ。老いるほど、そういう性格は遺伝と環境のお陰で悪く無いなあ(笑)。しかし、随分とストレスを抱えていたと今になって知る。心は誤魔化せても、身体は40代後半から成人病の巣窟で、年相応になってきたのはごく最近。

 

運が命を永らえさせてくれている。同級生や少し若い人が亡くなり始めているが、生死の境目は運のわずかな違い。災害、事件や事故のニュースや病気の話を聞いて、運を思う。それは一番気が楽になれる。自分の「もしものとき」も覚悟がつけやすい.。家族に「これも運だったんだね」と言ってもらえる人生なら大満足。無数の運と偶然と支えがあっての人生だが、一番不確かな「運」が辛さを慰め、喜びで調子に乗るのを諫める。
老いはヒトの熟成の証で、人生の最終的な冒険に着手するにはまず受け入れなければ。逆らうのは愚。「アンチエィジング」も老いの冒険かもしれないが金と時間の無駄遣い。年相応の面白さの発見が「老いの冒険」だと思う。その面白さとは・・・
(次回の後編に続く)


 

出入り自由の花壇に実った赤い鬼灯が、すべて見事に無くなった。鹿のご飯になったのだ。隣のスズラン(毒がある)を片付けた途端に。美味かったのか不味かったのか知りたい。食用鬼灯の甘さに驚いたことがあったが■●▲一山本、大谷さん、日ハムがなかなか勝てない。こんなこといちいち気にしている間柄でも場合でもないが。今日は千秋楽、日ハムはTV放送なし。

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