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女性の言葉を読む

こういう飾り方が好きだ

 昨日まで、ずうっと晴れだった奇蹟のような4日間。波風食堂のガラス面(3面、長さ6メートルぐらい)の格子を作った。「雰囲気が良い感じ」とママヨさん。「うどん屋みたくなってきた」と波風氏。

 夜、女性の書いた詩集と自分史を読む。両方とも、母子家庭という家庭環境と敗戦直後に少女時代をおくったほぼ同年齢の2人。前者は娘さんから、後者はご本人からいただく。
「17年間を山と山との間カンズメかんの中で生きてきた。『窒息しそうだ』とわめいた時があった 『ふやけてしまう』となげいた時があった 『もういいかげんにふたを切ってくってくれ』そうさけんでもみた」に、ママヨさんも立男氏も立ち止まる。いや、どの詩にも、土と生きることの真剣さ、感情の素直さ、暮らしの切なさがあった。
 自分史は、厳しい暮らしに加えて、歴史的な人権問題の渦中で育ち人生を切り開いてきた女性史。人間が人間になっていく歴史というのはこんなふうに作られるものなのかと思った。

言葉の意味を思った。2人の言葉は、それぞれ自分の生き方そのものなのだが、読者である波風氏の心を撃った。2人との共通点は厳しい母子家庭の育ちだが、10歳年上の方々の言葉は想像するしか無い。だが、身体の深いところにしみこ込んでくるのだ、衣食住の匂いや手触りが、理屈とは違う感情が。次元の全く違う幸田文という作家をその直前で読んでいたせいもある。同じ人間で喜びや苦しみがこんなに違うのだ。言葉として残してくれたから、子どもが読み、知らない人も読み、波風立男氏も読むことができた。そうして、波風氏はこの言葉を波風氏の子どもにも読んでもらいたいと思った。

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