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3月3日 雛祭り

雛祭りの夜に

 0℃ 曇り
 昼:ジャガ芋のガレット、紅茶。立男が昨晩作ったのは「塩辛くて味がわからなかった」とママヨさん作。フライパンで焼いた千切り芋にピザ用チーズを乗せてひっくり返して少し焼く立男。ママヨさんはひっくり返さない。どちらも旨い、家庭的な料理、飽きないため日をまたいで再食。

 昼から会議。終わってから若い先生とゼミの打ち合わせ。話が終わって「今日は家庭持ちの大事な日」と言ってもポカンとしている。奥さんを讃える3月3日じゃないか!と言いつつ、老人の長話につきあわせてしまい、ケーキ買って帰るのを遅くしてしまった。申し訳ない。
 夜:稲荷寿司と刺身のご馳走で波風家雛祭り。口大いに動かしつつ、心は大いにママヨさん讃える。

 寝る前の「富士日記」(中)。「事物の核心をすべて喝破、…天性の無垢な芸術者が、一瞬一瞬の生を澄明な感性でとらえ」(解説:水上勉)た文章楽しむ。丹念に、食事、行き先、出会った人のことなど書き込み、買い物代金も落とさない。こんなのがスパイスになりまことに飽きさせない。高峰さんのとも、野見山さんのとも違う。飾らないは同じ、上手いとか巧みだとか感じさせない点ではこちらかな。
 昭和41〜42年、飼い犬ポコの死が胸をうつ。ご主人を散髪し「天皇陛下みたくなった」失敗と書く。東京を離れ富士山麓で暮らす豊かさを我が身と重ねたりする。
 この頃の貨幣価値と今を比べる。卵10個250円、米10キロ4千5百円、大根45円、きゅうり2本30円、盛ソバ一杯70円、ガソリン22ℓ千三百二十円。大作家の武田泰淳の別荘暮らしにつき、貧しくはないが贅沢というものでもない。庶民の上の方の生活かな。日本がやっと豊かになり始めた頃、立男は当時高校1年生。修学旅行の自由時間に銀座で「カツ丼」食べた2年前。この日記にも「カツ丼」が何度も出てくる。

 画像は「インスピレーション」(ジプシーキング)。鬼平犯科帳のエンディングソングにも使われているが、雛祭りにも通じる感じがして。演奏者が誰かは知らないが、見事な演奏だ。

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