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終わりから見る

土曜日に読む朝日新聞から

生きるほど、死が近づくのだなあとガン手術のベットで思った。繋いだ胃と腸の不具合で炎症おきて吐き続け1月で20キロ痩せた。鏡に映るこういう顔が死相なのだろうと思った。生と死を初めて相対化したというか同量で迫っていた。還暦前のこの体験が老後の人生観と死生観を変えた、というか「自分が主人公の人生」を理屈でなく身体に意識させられた。遅かれ早かれ必ず死ぬ、今はその練習かもしれない。

 

独りを意識できなければ、他人と仲良くすることも、誰かを本当に愛することも難しいはずだ。自分と他人は違うから、おずおずと近づき、相手の気持ちを察し、自分のことも分かって貰おうとする。境界線を互いに持っている人同士が仲良く暮らせる大前提は、自分がそうであるように他人も独りで生きているという意識を忘れないことだ。

 

残りの時間を予想しておくのは役に立つ。仮寿命78歳と決めたら残りの人生が3.7年になり「新車買ってまだ2年にしかならないのに」「今のところ大病の兆しは来てないから運良くポックリ逝けるかも」なんて思いつつ、「今のうちに片づけておくことは・・・・」なんて重い腰も上がる。終わりから自分を眺めるのはなかなか良いものだ。


『無名の人生』(渡辺京二著:文春新書)、成功、出世、自己実現などくだらない「自分で自分の一生の主人公であろう」という人生論に名を借りた庶民の哲学書。こういう分かりやすいカッコ良さ考えさせてくれる本はありがたい。石牟礼道子さんルートで■▲●「独りの意識」は「独りで家事」できて実体化される。一人で何もかもやっている方々の偉さに気づく。こんなブログ記事書いている場合では無い・・・・

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