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「あいたくて」

高さは腰ぐらい。健気だ

表ブログで、工藤直子「あいたくて」の閲覧がほぼ毎日あり、閲覧数が10PV以上の日もある。2016年秋の記事で、特別な内容でもないから、詩「あいたくて」を繰り返し繰り返し見続けている人がいるに違いない。ほぼ毎日閲覧のある「画家『池田学』を観る」のように、検索で引っかかっているのではない。

このことに誘発され、「あいたくて」を時々読むことがある。その度に、波風氏は俺は誰に会いたい?何に会いたい?と自問自答したりする。そして、ずうっと握りしめてきた「手の中の 見えない ことづけ」を早く手渡さなければ、という気持ちが湧く。それが何か未だ分からないのだけれど、会うことで完結できるような気がしている。今会わなければ後悔するとでもいうように。

癌の手術を終えた人、再入院した人、お母さんを亡くした人、旦那さんを亡くした人…。何も話す言葉は持っていないけれど、心に浮かぶ人は立男君を待っているような気がする。立男君自身が同じ立場なら、心に浮かぶ人に会いたいと思うのだ。前に2ヶ月入院した時、症状の大変な時ほど見舞いの人にずうっと居て欲しかった。「昔から、最大の不幸とは、会うべき人に会えず、話すべき人と話せないままになってしまうこと」と、昨年亡くなられたお坊さんにベッド側で言われた。

※画像は、昨年夏に葉1枚を残し全て朽ちてしまい「ちょうど20年の命だった」と諦めた赤いアマリリス。1月に蕾ができ、それが大きくなりつつ茎が伸び、無駄無く豪華で清潔な赤い花が咲いた。

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