ブログに「なので」のことを書いて、「なので」が前より気になりはじめた。ここ数日だけで、TVのコメンテーターや、それなりの文章にいくつも発見。ママヨさんと、「ここにもあったよ」と遊ぶ。
そんな折、新聞の書評欄(1/31道新)にこんな鋭い指摘が。「論理的な文章書くには『だから』や『しかし』に代表される接続詞表現を使いこなすこと。なぜ論理的でなければならないか。論理的でない者は仲間内の言葉しか話せないので『よそ者』を単純に切り捨て、排除してしまうから。』(野矢茂樹著『哲学な日々』に対する南木佳士氏の評)。題名が恐れ多いのだが、「中学の国語の教科書づくりに関わってる著者」と「自分も他人も同じように日本語を使いこなせるという大きな誤解」の言葉で、思わずアマゾンに発注してしまった。講談社1458円の新刊本。ウーム。【長くなり過ぎるので、お約束の「言い得て妙な言葉」は次回に】
白黒黄のロゴは本文と無関係。公募で選ばれたキャッチコピーのデザイン化。パンフレットの表紙デザインの一部。趣味でなく仕事。読んでもらえる文章と同じく、見てもらえるデザインの道は遠い。