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2月20日(土)違いの発見

 朝0℃、晴れ。週末荒れの予報が怖い。「今日は仕事する。遊ばない」と早朝から決意し、こんなブログ書いてしまった。もう一回決意する。「こんなブログも書いたし、今日は仕事する」以上、決意表明終わり。

 「上手に生きるためには、他人と仲良くしなければならない。喧嘩なんかしないで、相手の良いところを見つけろ」と、大人から言われて育った。年賀状に「出る杭は打たれる。注意せよ」なんて波風君に忠告してくれる親切な人もいた(笑)自分が大人になって少しわかったのは、妬みや嫉妬は頭を使って仕事する男に多いことと、「喧嘩しない人は代わりに悪口を言う」だ。悪口言うと後で気分悪いから(苦いゲップがずうっと続くような)、我慢しつつ様々な角度から検討し、言う価値のある人には、言いたいことを直接本人に言うことにしてきた。困るのは、何かの拍子に出会った時、あいさつしようとするとコソコソ逃げてしまう人がいることだ。直言する相手の吟味はまことに難しい。しかし、老人生活の特典の一つに、悪口に関わるような人と上手に疎遠になれる環境が用意されるのは嬉しいことだ。さて、ここまでが前説。


 さて本題。仲良くなるためには、自分と相手の違いを互いにわかりあう努力が大事だ。それが大前提だということ。違いの発見だね。何だかよくわからないが面白味というか、存在価値というか、尊敬の念というかそんなのがフツフツと湧いて来ない限り『共同』の土台はできない。「こんなに違うのに、いやこれほど違うのだから、一緒に何かをしてみたくてたまらない、自分だけで無理なことが突破できるかもしれない」という熱気は、違いを見抜ける冷静さが必要だ。口を開けば、キョウドウ(同義語に「力あわせ」、「学びあい」あり。こんな言葉を巧みにつないで語る人の中には、正反対のことをやっている矛盾に気づかない人も少なくない)なんていうモノ欲しげな言葉は、誰かを騙す詐欺みたいなものか、自分に酔ってるだけみたいな気がする。
 真剣にキョウドウを生業(なりわい)にされている誠実な方と話をしていて、端々にアタマデッカチなキョウドウ論理を感じてふと口をついたのが「違いの発見がキョウドウの始まり」「違いの尊重がキョウドウの継続」だ。嘘の始まりは泥棒の始まり。借り物のキョウドウ言葉の羅列はブラック企業の始まり。

 今日のイラストは、ママヨ作「チーズ・ケーキ」。アップルパイと同時作成のバラ色の週末。立男も、台所で「邪魔しないでね」とコケにされつつ、パイナップルの100%ジュースと缶詰でゼリーづくり。

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