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「引き際」の美学

「受け身」の練習とは違う、と思う

 全柔連会長が一連の責任取らず居座り続けている。政治家の命である自分の言葉に全く責任取らない市長兼政党代表もいる。あきれつつ、仕事の「引き際」を考える。「辞めない」度量に驚く、というか端で聞いて恥ずかしいというか、怖いというか。周囲の力で御輿に乗せられるのは易しいが、一度上に立つと降りるのは実に難しいそうだ。御輿は自分で作ったとか、乗るのは自分しかいませんと勘違いしているのなら尚更だ。

 筋力にも、権力にも全く無縁な波風立男氏とその周辺。だが、狭い世界でも「引き際」が見事な方はいらっしゃる。人の生き方というのは節目に現れる。だらしない人は汚らしく、潔い人は美しく、どっちでもない人はそれなりに。潔い、と思っていたら意外にそうでも無い、というのもある。立男は今もって修行中、歯がゆくてしょうがない。いち早く無冠の帝王(笑)の座についた早口君なんかが羨ましくてしょうがない。

還暦後、怖いのは金とママヨさんからの生活指導だけ、という隠遁的老後生活を夢見て、何とか現職を投げ出さず、定年退職を指折り数えていた立男だった。だが、人生は思い通りにいかないもんだと思いつつ、周りにこれ以上の迷惑や心配をかけないで、生きられる日まで生きたいとしみじみ思う。そういう目から見ると、「自分がやりたいからやっている」も「周りがやれと言ったからやっている」と言う方もたまにいるが何だか切なくて悲しい。思い出すと、美しい引き際の人は、小さな居直りも弁解もしやしない。

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