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〈悲劇〉教員像の喪失

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教員のなり手がいない、ブラック職場、「教師間のいじめ」・・・教育が、日増しにひどくなる。
教育の目的、内容、そして方法までが上から命令され、教育を良くする鍵・教員数改善が全く行われず、上意下達の指導体制が着々とすすむ学校。『学力テスト』体制は世間が思う以上に、学校から精気と自由を奪っている。不健全な職場で我慢せざるを得ない先生たち、若者が教育界を選ばないのも当然だ。


昔から、教員は楽な仕事で無い。勤務時間も、賃金も、希に良い時があったらその何倍も我慢が強いられる。それでも何とかやってられたのは、働きがいがあったからだ。子どもとのふれあい、信頼できる仲間、大人どうしの連帯感を味わえる『聖職』者としてのプライドと喜び。それがだんだん消えてきた。国の礎を担う専門職なんかでなく、ほぼサービス業と見間違える扱いにされつつある。

 

今、『教師とは何を求め続ける人間なのか』(教師像)を語るべきだ。ここを鮮明にしないでどうして教育を信頼し、教師と連帯できるだろうか。安価で嘘っぱちの教育改革を蹴飛ばし、真に望まれる教師像が学校の内と外で語られなければ。上からの教育荒廃に対する下からの対話による教育再生。教育がどんなに蹂躙されても、人間と人間、先生と子どもの営みは汚せない。

 

※画像は、ツマミを流木に変えてみた黒いホーローの薬缶。こんな作業で、機械製品を少し身近に引き寄せる感じ。
「教師間のいじめ」に対するマスコミ論評もだが、最近の学校や教育の話が課題スルーというか、ことの本質からズレているのが気になり今日のブログ。

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