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便利という不便

『便利』の意味は【それを使う(そこにある)ことによって、何かが都合良く(楽に)行われること。←→不便】と辞書に。本当かなあ。老後暮らしの中、元々の意味と実際とがこれほどずれている言葉も無いような気がする。

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便利な車のせいで、近くのスーパ往復だけなのに、朝から「いくぞ、いくぞ」の決意が必要な身体になってしまった。
昨年、家の車を2台から1台にすると提案した時、ママヨさんが激しく抵抗した。自分専用の便利さと自由さを失う不安感からだろう。波風立男氏の巧みな誘導によって煮え湯を飲まされた昔のあれこれも思い出したのかもしれない。「嫌なものは嫌」という態度だった(笑)。経済的理由で迫ったらついに折れた。波風家を全権支配するカードはこれが最強だ。

 

結果は、『引きこもり』状態の波風氏は車をほとんど使わないから、残った車は事実上ママヨさんの所有となった(涙)。『車を減らす暮らし』が『車を利用しない暮らし』に連続し、歩くことが増えた。書いた手紙も往復3千歩のポストまで歩く。面倒臭いと言えば面倒臭いが、歩いたおかげで膝痛、手足の血行が劇的に改善したのは事実だ。
便利なものは怖い。身体と精神の弱さに急回転で転がり落ちる。最近、うすうす気がついてきたが、便利なことも要注意だ。少し苦労しなければ達成感は薄い。便利な人というのは・・・。

蛇足だが、大便や小便でなぜ便利の便を使うのかというと、ものごとがするすると為されていく状態を意味しているから、と怪しい本にあったが、真偽は不明。
画像は、散歩(買い物、図書館等)のスタイル。未だフード付きダウン、リュック背負い両手空け転倒に備える。

http://booklog.jp/users/namikazetateo