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永遠の高校生たち

namikazetateo2017-04-26

窓に映る横顔は、その席にふさわしい人物のそれだ。たるんだ皮膚、生気の無い眼、伸びた白髪。地下鉄車両の乗車口すぐ横の「専用席」に、油断したまま座ってしまった波風氏。車内灯に浮かんだ老人の自分の顔が黒い窓ガラスにくっきり浮かんでいた。退院後すぐに用事で出かけたせいで、2駅分だったが気分的に腰を下ろしたかったのだろう。昼には未だ間があったので車両はすいていた。彼は無意識に同年輩を人影まばらな車両に探した。少し離れて立っているジーンズに野球帽の男は少し歳がいっているようだし、黒い鞄を膝に乗せて座っているクリーム色のコートの男は未だ定年前だろう。その横でスマホをいじっている灰色のコートの男も仕事の途中に違いない。

「1969年1月、あの学園紛争最盛時に何歳であったかということが(中略)有効なメルクマールになり、我々の世代感覚はあの時点で固定され、時間が止まったまま、それがいまだに続いているような気がする」(岡崎武志著「昭和三十年代の匂い」:ちくま文庫)を序文に見つけた。桑田佳祐佐野元春は当時中学生でその中学生がそのまま大人になり、椎名誠沢野ひとしは永遠の若手サラリーマンであり、坂本龍一山下達郎村上龍といった高校生の連中は(いずれも昭和52年生)は"永遠の高校生"に見える、と書いてあった。
 青春の原風景が中高生時代なのは不思議じゃないが、世代感覚の判別で「1969年」に特別な意味を与えるのは初めてだと思った。当時中学1年生の筆者に、学園紛争がそれほど大きいとは。64年の東京オリンピック、69年のアポロ11号月面着陸、70年の大阪万博より影響大とは。(次回に続く)

※札幌の地下鉄では、「優先席」ではなく「専用席」を設置。高齢者だけでなく、「からだの不自由な方」「乳幼児をお連れの方」「妊娠されている方」「内部障がいをお持ちの方」も対象、とHPに。

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