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伝説のスピーチ

1992年、ブラジルで開かれた「国連環境サミット」で日系カナダ人のセバン・スズキさん(12歳)が行った「伝説のスピーチ」。先週、パレスチナ自治区ガザで多くの民間人が犠牲になり、国連運営の学校も戦車の砲撃を受け子どもたちが亡くなった。取り上げた新聞コラムがこのスピーチを引いていた。

 ・争いをしないこと
 ・話しあいで解決すること
 ・他人を尊重すること
 ・散らかしたら自分で片付けること
 ・他の動物をむやみに傷つけないこと
 ・わかちあうこと
 ・そして欲張らないこと

 「学校で、いや幼稚園でさえ、するなと言うことをなぜ(大人は)しているのですか」という人間の言葉が、年齢も、国籍も、そして時代も超えて迫ってくる。立男も大人として考える。この国を動かすリーダーではないが、清き一票の権利を持つ初級老人として反省もする。「集団的自衛権」、「原発再稼働」、「格差社会」、「自然環境」…この国はどんどん変にされていく。いや、変にさせてしまったようだ。教育界も「これは違う」がやたら多くなった。この頃は、10年に1つぐらいの?が、1年に10ぐらい?!の感じだ。現職去って3年、ザワザワ感は次第に強くなる。                                         

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 長崎佐世保の高1少女殺害事件。家庭環境、特異な心理的・精神的構造、学校教育、…「なぜなのか?」と思う。10年前に同地で起きた陰惨な小6少女殺害事件も思い出す。だが、このスピーチで少し立ち止まった。立男自身がいつの間にか自分を安全なところに置いて、評論や講釈、説明をしたがるようになっていることだった。なるほど、競争と自己責任の風潮は、そういう大人に向かわせるわけだ。
 世界中の子どもがこうした大人に「するな」と言われているのだ。大人は色々な理由をつけてそれをやり続けているのに。子どもはそうした社会でもがきながら健気に生きている。「人を殺してはいけない」は今、どんな意味を持つ言葉になっているのだろう。世界が「たかがそんなもの」と子どもらに思われるのなら悲しい。スピーチは「(大人が)行動でしめして下さい。」で終わる。

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