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納豆という回答

このセンスが既にただ者で無い。

 最初、甘納豆だと思った。手の平大の包4つ、クール宅急便で届く。納豆、六花の文字で、帯広の某大手菓子店の甘納豆だと勘違いしたが、帯広産の大豆(ユキシズカ)を使った手作り納豆だった。やるな、と思った。ううむと唸った。こんな原野に、こんなお店があるなんて、いったいぜんたい何故なんだ?という大きな疑問に対する明確な回答が届けられた感じ。
 手作りは日々誰でもやっている。家のご飯がそうだ。だが、パッケージまで意匠するのは、手作りしている自分を強く意識し、そうした生き方そのものを楽しむ心があるからだ。以前から、【手作りを楽しむ生活×デザインという遊び=自分を自由自在に解き放す文化】だと思ってきた。中でも、食べて完結の表現こそ、文化の中の文化だと思う。波風的には食分野には不良性を表現するに尽きない素材があると思うのだが、納豆もそうだったか。恩師の手作り羊羹は、玉手箱みたいな堅牢な箱に入っているのだが、この納豆にも同質なものを感じた。

 肝心の本体というと、憎たらしいほど本物だ。こういうのが納豆なのかとゆっくり味わった。波風製の半加工的偽物手作りとはわけが違う。パッケージで誤魔化したりもしない。小粒で粒揃いの上等な豆たち、ユキシズカという感じのが「ここまでにしてくれたのだから、ちゃんと食べてね」ってささやく感じ、「三三七拍子法」(食べ方のヒントもある親切さ)でやってみると、納豆だけに糸を引く、いや後を引いた。

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