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子どもの笑顔(改3)

ウクライナとガザのTV画像で、子どもたちの笑顔を見ることはない。恐怖と痛みと飢えで引きつった顔、顔、顔。生まれてきたばかりなのに、死を迫られる世界、どんなに恐ろしくどんなに悲しく不安だろう。ニュースを見るのが辛くてたまらない。だがTVから顔を背けることはできない。「戦争から遠く離れたところにいるのに、現実から目を背けようとしているお前という人間はいったい何なんだ?」という問いは未だあるからだ。

 

21世紀もやっぱり戦争の時代が続くのかなあ、2001.9.11の時のママヨさんの言葉。大国が関与する暴力と殺戮が予想を超えて広がりその不安は不幸にも大当り中だ。残りの人生の方が、過ぎた暮らしよりも相当に短い波風夫妻だが、命尽きるまでにもっともっと恐ろしいことが、それも自分ごととして起きる感じがしてならない。漠然とした不安がずうっと続いている。

 

前に働いていた中学校の卒業式と入学式の生徒向けメッセージを書いた。「3年間でハラハラ、ドキドキ、ワクワクした思い出は一生の宝物。若い時には気がつかなくても後々そう思えるときがありますよ」と卒業生に。中学生にはそんな体験ができるよう祈っていると書いた。今、子どもたちの存在自体が時代の宝物。大人たちみんなでそう思えるなら、安心して死ぬまで生きられる。

 

最近、猫や犬を愛でるTV番組がとても多くなった気がする。飼い主の笑顔つきだ。何となくだが、それに反して子どもや教育のドキュメント番組が減っている感じがする。子どもをペット化する不安(人格を認めない虐待も根は同じ)を言われて久しいが、「小さき者」への関心をペットに移すことで何かが隠されていくような気分するがどうなんだろう。

 

※この記事は時々手を入れて、自分の考えを整理する機会にしたい。表題の「改」は、前のを改定する意味で「改1」は改定1回目の意味。

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