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新聞が楽しくない の続き

新聞は本と違い作者の好き嫌いで読むことはない。また、毎日定期的に提供されるから「誰でもが手に入れられる公正公平な情報」と勘違いしやすい。新聞絶対主義というか新聞の権威みたいものを誰もが感じるだろう。瞬間的に消え去るテレビより、残る情報で歴史もあるから格上みたいな気がしないかい?これ、全くの誤解だね。

「この記事は事実を正確に伝えているのか?」、「大事なことを意図的にスッポリと抜かしていないか?」、「読者をどこかへ誘導しようとしているのではないか?」と思い始めるともういけない。世の中を知らなければ幸せに近づけない、と思いつつ折りたたむ。
それで、「今の世界を知るためで無く、自分が機嫌良く暮らすための記事」を探し始めると、これが意外に無い。

 

日々の情報を、テレビ・ラジオ、インターネットなどで手に入れる時、何をどう選択するかは自分の感性で決まる。情報はトンデモナイのからマトモそうなものまで多様だが、一方的に押し寄せてくるから余程の覚悟というか、自分を信じられる暮らし方で磨く感性が無ければ、引きづられて偏っていく。新聞を止める選択はしないが、「俺が偏っているのか、新聞(他の情報含)が偏っているのか」を意識して読まなければ。

 

本は自分で選ぶ。見る人が見れば「波風氏という人はこういういう傾向の人か」と推測されるだろう。偏り具合は自覚しているが(笑)、その偏りが自分の感性そのものなわけで変えるつもりも隠すつもりも無い。身に備わった一番の財産、信じていたい記憶。
本を読めるうちは大丈夫で、新聞読めないのは俺の感性が拒否する(笑)という感じかな。

http://booklog.jp/users/namikazetateo