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冬のうどん研究

冷蔵、冷凍で保管したものと作り立てと、茹で上がりがどれだけ違うのか?麺切り前と後で保存状態は変わるのか?茹でた麺を冷蔵庫で保管して何時間までなら「お客さん」に供せるのか?  手作りうどんの話だ。

 

波風食堂の冬は研究の季節。一番知りたいのは、美味しく食べられる冷凍時間の限界。これがわかれば、開店前日の慌ただしさ解消できるのだ。労働時間を画期的、革命的、空前絶後的に改善できる研究なのだ😄

 

昨日、1週間前に作って冷凍したのを鍋焼きにした。やや腰が弱いのは、茹で+煮る=14分間の鍋焼きだからか?ウーム、茹で11分間のかけうどんで比べなければ。

「何とか作れた」→「前よりちゃんと作れた」→「合理的に作れた」と、ものごとは進化する。3年目を迎える波風食堂は、味とともに働き方改革にも着手するのであった。

寒い朝

寒冷マイナス10度、陽光眩しく、全天青空の朝。マイナス26度になるという地の友人に、大丈夫か?のメール送る。こういう日、北国生まれの血実感する。

 

身辺の課題あるが明るさ灯る。30年間の宿題みたいな小説読了も昨日果たす。頼まれていた約束も月末までに終わる。麺切り包丁を研ぎ、エッジの効いた4ミリ角のうどんを、一緒に研いだ万能包丁で気持ちよく切ったネギを乗せ旨い旨いと食べる。

 

落ち着かなかった気持ちが、ゆるやかにほどけていくよう、そんな日の明るく寒い朝

言葉の出どころ

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画像は、故緒形拳さんの墨跡。雑誌の愛読者カードに書いたものだが、受けとった発行人が飛び上がったそうだ。意味は文字通りで、身の回りにあるものが友であり師だと緒方さんが言っている。

 

この四字成句が、北大路魯山人の造語だと昨日知った。緒方さんと魯山人では、朴とつ簡素と豪華絢爛の対局的な違いがあり、ほーっと思った。同じことばなのにまるで違う印象がする。謙虚と傲慢の根底は実は同じなんだよ、と言われたようで面白い。

自分の「座返師友」をあらためて考えてみようと思う。作業部屋入口に、これを短冊に書いて掲げ8年になる。

貧乏人の杞憂

大寒の一月末。暦の上ではもうすぐ春。この「暦の上では」を聞くたび、大量除雪にうんざりしている当地の人間は、「ここで暮らしてみれ、なんも知らんくせして。あ~あっ、あと2ヶ月の我慢か。長いなあ」とボソッと口にするのが常だ、った。

 

今、かつて知らない冬を体験中。最低30分の通常除雪もまだ1回だけ。いつもなら、道はどこまでも白く、「これが北海道だべさ」の真っ白壮大凸凹満載な雪原も、今年は随分貧相な風景のままだ。今週やっとオープンした近所のスキー場も、滑走部分は集めた雪でなんとか格好ついてるが両端はぽやぽや禿げ頭状態。隠しきれない枯草が何だか薄ら寒い。

 

待ち望む春の姿を冬真っ盛りの今目にするのは、どこか怪しく怖い。楽と言えば楽だが、努力しないで美味しいものを頂戴するのは、「なにかあるな、きっと」なのだ。努力と我慢の冬を耐えるから春が待ち遠しく尊い。もしこんなままで春が来たら大変なことになるべや、と思うのは貧乏人の杞憂だと笑っていていいのかなあ。誰か、教えて欲しい。いいのかい?

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