カウンター

トイレの日

貯水槽のしくみ

11/18の朝日(「ザ・コラム」)から。11月19日は国連が今年定めた「世界トイレの日」。トイレ整備が趣旨。今、世界で11億人が野外排泄、それが原因の感染症で毎年20万人の子の命が失われているそうだ。その6割がインドで国民の6割がトイレ持たないことに驚く。核兵器持つIT大国での極端な男尊女卑や貧富の差感じていたが、トイレもかい…。

 コラムの、水洗トイレが魔法のように暮らしを近代化し尊厳ある人生に変えた(シンガポール国連大使)という下りで、波風立夫氏はこれまでの長かった「ぼっとんトイレ」人生を思った。転勤で移り住んだ住宅に人生初の水洗トイレ発見したのは47歳の時。その喜びは決して忘れない(笑)ママヨさんと踊りあって喜んだ(笑)前述の元国連大使と同じく来客に困惑しなくなった。トイレ問題はすこぶる人権問題なのだ。食とともに排泄の始末は人類の大問題。話戻るが、次の転勤で再びぼっとんに戻った時の落胆といったら…。ちょっと前の大事件なのに随分昔みたく感じるのは、今の便利さがあたり前になっているからかもしれない。それにしても、「ぼっとん」で生きてきた人間は、生まれつき水洗の方々とは精神面で間違いなくどこか違うはず…いざとなれば野糞だって…みたいな糞意地はぼっとん派の勝ちだろう。

 さてこの頃、自宅トイレの水はジャ−ジャー流れるが貯水槽へはチョロチョロに。人もトイレも、年かさ増せば勢い無くなるのは同じ、垢で詰まったか、装置が耐用年数過ぎたのか、なんて思っていた。すると「水道管破損に伴う水圧低下及び復旧予定のお知らせ」のチラシが。近くで起きた土砂災害が原因だった。「管破損」「水圧低下」「復旧予定」なんて言葉で、自分の肉体器官の出力がどうも最近弱くなり、若かりし頃のバズカ砲みたいな…勢い余ってまき散らして叱られた時代もあったよな…んあんてことを考えてしまった、世界トイレの日。

http://booklog.jp/users/namikazetateo