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「小沢昭一的こころ」最終回

小沢昭一的こころ

 安岡章太郎さんや小沢昭一さんはもういない。前者は人の優しさを優れた文体で描き、後者はラジオでたまに聞くとちょっと豊かな夕方を過ごした気になった。きちんとしていて、人間くさくて、楽しくて、粋な方々だった。年齢からは、順番通りのあの世なんだろうな。
自宅本棚の「読み終えたのだが何となく片付けられない本のコーナー」に、「死との対面 瞬間を生きる」(安岡章太郎)、「老いるということ」(黒井千次)、「生きる悲しみ」(山田太一)などが並んで久しい。垢のついたこれまでを片付け始める上で、少し覚悟を決めるために、「人は誰でもそうなんだ」という安心感が欲しくて読んでいる。

 
 「72歳までは生きられる(父親の亡くなった年齢の)昔から何となくそう思って生きてきた」という一文に出くわした。「70年代 若者が『若者』だった時代」(週刊金曜日発行)で、作者は私と同年齢だ。私は今まで2度入院したことがある。29歳の胃潰瘍、58歳の胃がんだ。父の享年29歳だからウームと思った。昔から自分の寿命は72歳だと思ってきた。29歳の2倍は何とかクリアしたが、3倍は無理だと思っている。2〜3倍の真ん中が72歳だ。

 どこでどう生きるか、は考えられても、何歳まで生きられるかは自分で決められない。だが、自分でめどをつけておかないと、後始末が後回しになってしまう。遊び半分も、後始末あってのお楽しみだ。小沢さんの最後の放送を聴き、微動だにしない姿勢に感嘆。かくありたいものだ。

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