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1月13日(水)「淡泊」の続き

今年の冬も恩師の羊羹で始まる

 −7℃、昨日の夕方から雪降らず、その分冷え込む。ママヨさんが4日ぶりに家に戻る。

 前回(11日「成人の日」)から頭離れない子規の『淡泊』。辞書にこうある。たんぱく【淡泊】①物事の感じ・味・色がしつこくない様子だ。(対)濃厚 ②物事にこだわらず、さっぱりしている様子だ。「−な人柄」「−な態度」。この友人の条件、自分はどうなのか。『君子の交わり 淡きこと水のごとし』思い出す。つまらぬ人とのベタベタした甘酒のようなつきあいは濃密なようで直に破綻すると続いたはず。荘氏だな、きっと。信頼関係が続く人は互いに深入りせず、それでいて人生の決定的瞬間にしみ入る温かさをいただいた人たちだ。そのことでお礼を言ったこともないような。

 ママヨサンの「私たちは親友、すご−い親友」には、こうした願いが込められているのかもしれない。
 対義語は『濃厚』だ。人間関係では『うざったい』だ。辞書では、うざった・い(形)①うっとうしく目障りな様子だ。「前髪が−」②たまらなく不愉快な感じがして、側に近寄るのも嫌な様子だ。「−中年男」〔①②とも俗語的。また、「うざい」とも〕。間遠になった人を思い出すと、濃厚さも確かにある。だがそれ以上に、忘れられない不愉快な言葉が浮かぶ。言葉は言う側より聞く側の方が重い。

 さて問題は、自分の見方、自分に対する淡泊さだ。子規に学ぶのがここだ。繰り返すと、自分を客観化・相対化できる、自分を笑える度量だ。子規の天才は、それを言葉で残したことだ。自分に対し、不必要な深入りせず、調子に乗らず、いかなる時も淡々と続けて生きていく。友人の存在とは、そうした自分を映す鏡なのだろう。淡泊でなければ曇る。

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